プロオーケストラのオーディション

先日、私がヴィオラで正団員として活動しているモーストリー・モーツァルト・オーケストラでオーディションがあり、審査員として参加しました。退職していったヴィオラの団員さんの席を埋めるためのオーディションです。

これまで私は、高校生の頃に受けたユースオーケストラのオーディションから数えると、大学の入試や、プロのオーケストラに入るためのオーディションまで含め、20年間も受ける側に立ってきました。プロのオーケストラ奏者としての生活を夢見る若い音楽家にとって、オーディションを受けることは生活の一部です。次はいつ、どこで、どのオーケストラのオーディションがあるか常に大学の掲示板や、労働組合(ユニオン)のウェブサイトで情報を集め、応募し、受けるオーディションの曲目リストをもらって練習し、レッスンを受け、友人達の前で試し弾きし、さらにまた練習し、フライトやホテルを予約し、受けに行く。受からなかったらまたふりだしへ戻り、繰り返す。という生活。

楽団によっては一つの席に200人の応募者が集まることもあり、そういう場合はさすがに全員の演奏を聴くことは無理なので最初にテープ審査があったりします。

モーストリー・モーツァルトは夏だけ活動する楽団なので、地元ニューヨーク近辺に住んでいる音楽家たちがオーディションに招待され、さすがに200倍という倍率にはなりませんが、それでも20〜30倍くらいの倍率なので大学入試よりは過酷です。

アメリカのほとんどの楽団のオーディションでは平等性・公平性を確保するため、受験者の年齢、性別、顔、名前が審査員にわからないよう、スクリーンが間に設置され、お互い、反対側に誰がいるのか見えません。この状態で第一、第二選考、(第三選考があることも。。。)が行われ、さらに最終選考(ファイナル・ラウンド)があり、そこまで行くとたいていスクリーンが取り払われます。この段階では審査員が受験者に音楽的注文をすることもあり、フレキシビリティを試されます。

これを自分がやってきたのか、と今振り返るとなんだか信じられない気もしてきます。特に、自分が過去に経験したスクリーンの反対側に座ると、受験者の心境を想像し、「なんて厳しいんだろう!」と思い、変に緊張してしまいました。

しかし、これから一緒にして行く仲間を選ぶ重要なオーディションですから聞く方の仕事も大変重要です。一音も聞き逃さず、何十人も受けに来る奏者の中から一番良い人を選ばなければいけません。一番うまい人たちは皆素晴らしい音楽家で、それぞれに長所・短所があり、その中から一人だけを選ぶのは結構難しいことでした。朝9時から審査が始まり、25人のオーディションを聞き、夜8時頃終了し、結果、納得のいくヴィオリストが選ばれました。

今回は良いオーディション結果でしたが、場合によっては、数日間にわたる長いオーディションプロセスの結果、誰も選ばれないこともあります。楽団の気に入る候補者が誰もいなかった場合、勝者が選ばれないことがあるのです。私は以前、他の楽団のオーディションを受け、ファイナル選考まで進出した際、私かもう一人のファイナリストのどちらかが勝つ、というところで「誰も選ばれませんでした」という結果になったことが2回もあります。その時の悔しい思い!!!!何のためにこんなに練習時間とお金をかけたんだか、ばかばかしくも感じられます。せめて誰か選んでくださいよ!と思うのですが、しかし、選ばれなかったものに抗議しても仕方ありません。次のオーディションに向けて新たな道を歩み始めます。 

プロの音楽家としての生活は時には優雅に見えるかも知れませんが、その道は大変厳しいものです。ジュリアード音楽院に入るだけでも大変ですが、そこから音楽のみで生活を支えられるようになる人はさらに数が減ります。競争の激しい現実を知りながら、それでもキャリアとしてやっていきたいと感じるほど音楽が好きな人が成功します。子どもの頃のバイオリンレッスンは少しずつ進歩し、練習が辛いときでもがんばることに意義がありますが、プロの音楽家の道はそれに加え、生活がかかってくるのでより一層、真剣さが増します。私はそれでもこの道を選んで良かったと感じます。当教室からこの道を選ぶ生徒がいつか現れるでしょうか・・・・?